無料によって失われるもの~情報とノウハウの価値を忘れていないか~

2024年5月16日

出所:ぱくたそ[ https://www.pakutaso.com ]

調べれば分かるような環境が当たり前すぎて、ノウハウや情報の価値を忘れてしまうときがある。

それだけスマートフォンの存在は大きいということだ。

 

無料は感覚を鈍らせる。

パソコンのように、調べたら分かることでも気軽に質問する人がいる。苦手意識がそうさせるのだろうか。

いや、調べても、知らない言葉が出てきて、「調べる→分からない→調べる…」のループに陥ったのかもしれない。

 

あまりに回数が続くと、教える方も疲れてくる。時間、体力、気力は、有限である。

引き受けた以上、途中で突き放すわけにもいかない。相手も、こちらの依存度を高める。心理的な攻防戦が繰り広げられている気分になる。

 

身近な人ほど敬意が薄れる

言葉で伝えるのは簡単なことでも、技術を習得したり、情報を得たりするまでに、相当な時間を投資していることも多い。

絵、文章、音楽、服飾、ネイルなど、創造性が求められる仕事もそうだ。

 

身近な存在であるほど、気軽に依頼してくる。

「すきま時間で書いてよ」

「すでにつくってあるデータを少しアレンジしてくれたらいいから」

「経験があるから、すぐにできるでしょ」

 

お気付きの方もいるかと思うが、こういった頼み方は高確率で無料案件といっていい。

提供時間が短くても、これまで積み上げてきた労力は膨大だ。自分の価値を高く見せたいわけではない。もう少し敬意があってもいいのではないかと思うのである。

 

自己顕示欲の片棒

情報にも同じことが言える。

自分は何も苦労していないのに、美味しい情報のエッセンスだけ獲ろうとするケースだ。

 

仕事の手柄と同じで、さも自分が獲得してきたように語る人が時々いる。

そういった人は「こんなこと知っているんだぞ!」と、自分を大きく見せるためであることが多い。自己顕示欲を満たす片棒を担いでいることが、個人的には嫌になってくる。

 

お金、サービス、情報は、いずれも対価交換であることが理想だ。

ここに、恩にも似た「貸し借り」も入るだろう。私の心は、ペットボトルの蓋ぐらい小さい。

与える人「ギバー」の役割に徹するのは耐えられない。

 

けっして当たり前ではない

noteに代表されるように、個人的なノウハウが詰まった情報を有料で購入する仕組みが浸透している。

文字数に対して「高いな」と思うときもあるが、個人的にはとても良い傾向だと思う。

 

試行錯誤して積み重ねてきたノウハウが無料なわけない。

感覚的に身に着けたものを言語化するのも一苦労だ。ニッチな世界、行動したからこそ得られた教訓、言語化しにくい情報は、相当な価値がある。

 

そう考えたとき、取材して掲載するメディアは、情報提供者に対して何をギブできているのだろうか。

記事掲載による知名度向上、ブランディング、業界貢献など、いくらでも言える。それが「真の価値」と言えるのだろうか。

 

取材対応してくれることは、けっして当たり前のことではない。