きちんと座れる権利は、誰にあるのか~通勤中に思っていること~
社会人歴19年。
通勤で電車に乗ったのは4,000回(片道換算)を優に超えた。
その経験をもってしても、答えられないことがある。
「きちんと座れる権利は、誰にあるのか」問題だ。
先に座っている人に優先権があるような気がしているのだが、そうでもないような気もする。
スペースを奪い合う毎日
通勤電車では、無言の戦いが繰り広げられる。
一瞬の油断も許されない。
座れるスペースができれば、すぐに埋まるスピード勝負だ。
だからといって、浅ましい姿を見せる人はいない。
あくまで粛々と、紳士・淑女的な態度で座るところに美学がある。
座った後も戦いだ。
お尻の落ち着きどころを確保しても、背中と肩が安堵するとは限らない。
お尻よりも肩の幅が広い人が多い場合、背もたれに身体を預けられないからだ。
優先権を主張できないときも
個人的な感覚では、すでに座っている人に「きちんと座れる権利」があると思っている。
座るために、何本も見送って始発電車に乗る人もいるだろう。
会社から遠くても、始発駅を理由に、家を決めた人もいるだろう。
長年のデータ分析に基づいて、座れるタイミングを会得した人もいるだろう。
そう考えると、優先権を主張することに違和感はない。
ただ、私がこの問題に明確な答えを出せないのは、「座ると同時に、肩をぶつけてくる」というパワープレイで解決する人が少なからずいるからだ。
パワー系の気持ちもわかる
パワー系は、距離が測れないタイプと苛立ちタイプに分かれる。
前者は、スマホに夢中で勢いよく座ってしまい、結果的に強引になってしまった。
後者は、「いやいや! お前らが詰めれば、俺がきちんと座れるスペースはつくれるだろ」と思ったうえでの行動だ。
両者ともよくわかる。
うっかりすることもあるし、公共の場で譲り合いの精神は大事である。
ただ、その発生頻度があまりにも多いことが、若干ストレスになっている。
それが分かっているので、あえて座らないことを選択するときもある。
この答えが出ないまま、会社員を終えることだけはわかっている。
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