中年男の思い上がりほど見苦しいものはない~少しずつ裸の王様になる

中年男の思い上がりほど見苦しいものはない。
社交辞令の褒め言葉を真に受けて、少しずつ裸の王様になっていく。人生のなかで、そういった方々と数多く会ってきた。

「やっぱり俺がやらないとな~」と本人が口にする組織ほど、いなくても物事が進む。
悲しいことに、これが現実である。

特定の人がいなければ動かない組織は、正常ではないだろう。
不在で困るのは最初だけで、意外となんとなくなるもの。どうしても対応できない部分は、方向転換するなり、切り離すなりすれば一応解決する。

少しずつ勘違いする

組織に長年所属していると、それだけで発言権が大きくなる。
経験とスキルを活かして、難しい案件を担当し続け、一定の成果を出す。さらに、まわりから褒められると、勘違いしやすい。

そう私のことである。

誰かに指摘されたわけではない。
少し前のチャットを見返したり、寝る前に自身の発言を思い出したりすると、「完全に思い上がっているな」と思うときがある。

その頻度は、歳を重ねるごとに増える。
心のどこかで「正当な評価がされていない」と思っているのだろう。謙虚さ、感謝の気持ちは微塵もない。あるのは鬱屈だけだ。

自ら負のループに

客観的に見れば、それほど大したことがないのは分かっている。
良くないのは、その気持ちを他人に話すこと。「そんなことないですよ」との言葉を期待している自分が少なからずいるからだ。

そうなると、また勘違い君に戻ってしまう。まさに負のループである。
原因は、他人ではなく、どこまで自身にある。
褒められる機会を自らつくることによって、自己肯定感を高めているつもりが、自身の増上慢を肥大させている。

自分を認めることは難しい。過ぎれば増上慢に、足りなければ卑屈になる。
市場価値を意識しなければ、ますます思い上がりがひどくなるだろう。

注意しなければ…。