自由に書くことの難しさ
「好きにやったらええねん!」
先輩からそう言われるたびに、返答に困っていました。
自分の裁量で仕事ができるのは、記者として本望かもしれません。
ただ「自分の興味=読者の知りたいこと」に直結するとは、どうしても思えませんでした。
だから、自己満足に陥る可能性が高い道よりも、決められた領分で最善を尽くす道を選んできたつもりです。
時間が経過し、枠をはみ出さない書き方、定石どおりの仕事に、ある種の「飽き」を感じることがあります。
特定の業界を長年担当していると、取材経験に頼って、同じような切り口、似たような紙面構成になっているからです。
情けないことに、過去記事の再編集だったり、意図せず年月日を変えただけの「カレンダー記事」になっていたりすることもあります。
- 締め切りまでの時間
- 業務量
- 情報
- 広告協賛
- 取材先との関係
など、理由はいくらでも挙げられます。
時間で量を稼げば、多少無理できるものの、長続きしないことは分かっています。
情報も、物事(事象)に対する切り口も無数にあるため、ある程度のところで「おさめる」決断が必要です。
限られた時間と紙面スペースのなかで、どう伝えていくのか-。記者の力量が問われる部分です。
私の場合、裁量を委ねられていることに甘えて、枠からはみ出ず、自由に書くことを恐れています。
問題を起こさない安全運転、失点の少なさが評価されて生き延びてきたところがありますが、攻めなさすぎて、ボーダーラインが分からなくなってきました。
誰でも容易に検索できる現代において、「インターネットで調べれば分かる」情報を載せている媒体は、評価されなくなっています。
業務時間内で最大の成果をあげるというスタンスを守りながら、いかに独自の記事を載せられるか。その点に苦心していかなければ、後々もっと辛いことになりそうです。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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