【読書】三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章塾
手垢のついた言葉は使わない。
そう決めても、考える手間と時間を惜しみ、結局誘惑に負けてしまう。
「目を輝かせる」「胸を張る」「熱心に耳を傾ける」「警鐘を鳴らした」と使えば、記事としておさまりがよくなる。
しかし、実際は目を輝かせていないし、胸も張っていない。
それでも書くのは、少しでも臨場感を出したいから。
悲しいことに、大した観察をせず、適切な言葉も考えず、安易な常套句に走っている時点で、読者からその狙いは見透かされています。
朝日新聞編集委員の近藤康太郎氏は、『三行で撃つ〈善く、生きる〉ための文章術』(CCCメディアハウス発行)で、常套句を使ってはいけない理由をこう書いています。
あたりまえですが、文章が常套的になるからです。ありきたりな表現になるからです。
しかし、それよりもよほど罪深いのは、常套句はものの見方を常套的にさせる。世界の切り取り方を、他人の頭に頼るようにすることなんです。
自分の言葉で伝えるよりも、決まり文句を当てはめてしまえば楽です。
それでは記者の視点もなく、誰が書いても同じような文章になってしまいます。
近藤氏によれば、比喩表現だけでなく、「としたもんだ表現」にも注意が必要とのこと。
「記事とは、そういったもんだ」
「読みものはこうやって書きだすとしたもんだ」
手癖で書いている私にとって、近藤氏の指摘は思い当たることしかありませんでした。
「開発した」「発売する」「市場投入する」「開催した」「〇〇氏から話を聞いた」「~が注目されている」など、定型文ばかりだったからです。
文章表現と観察する努力を捨てるだけでなく、固定観念に縛られていることにも気付かされました。
場面に語らせる
よく見かける(笑)に対して、近藤氏は「下の下」と断じています。
われわれは、感情を文章で説明してはならない。(笑)なんて文中に使うライターは、下の下です。筆者の感情をト書きで読者に伝えようなんて、怠慢かつ傲慢です。読んでいて、読者が自然に怒ったり、泣いたり、笑ったりするのでなければ、文章なんて書く意味はない。うるさいだけです。
私に対して言われているように感じました。
代わりに「〈論〉ではなく〈エピソード〉で語らせる。場面に語らせる」としています。
相手の言葉による説明ではなく、いきいきした動きで書くというものです。
- 声のトーン
- 口調
- 握手の仕方
- 目線
- 表情の変化
- しぐさ
といった変化を探す必要があります。
やはり「見る」だけではだめだそうです。
音、におい、触り心地、味など、五感で知る必要があります。
これはオンラインではできないこと。取材の醍醐味と言える部分です。
五感を他人にゆだねない。ライターの必要なのは、正確さに対する、偏執的なこだわりだ。
本書は、記者として、ライターとして、なにより文章を書くうえでの心構えが25項目も紹介されています。
文章表現力、語彙力を高めるために、取り組むべき内容も書かれているので、私のように「書くことに」行き詰っている人にとって、モチベーションアップの一冊になると思います。
最後に、副題にある「〈善く、生きる〉」に関連のある部分を引用して締めさせていただきます。
おもしろい人、魅力的な人、他を楽しませる人。聞かれなければ自分から話すことはなく、しかし問われたならば、驚くほど経験が広く、深く考えている。品格がある人。つまり、善く、生きている人。それが、いいライターだ。
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