こだわりではなく、視野狭窄による執着に過ぎないのではないか

言葉が出てこない。書いたら消す。この繰り返しだ。
少し前までは、自分が言いたいことをもっと表現できていたはずなのに、どうにも上手くいかない。

霧がかかったような気分に陥る頻度が増えた。書くことに自信がなくなってきた。
20年間書くことで生計を立ててきたつもりだが、これはこだわりではなく、視野狭窄による執着に過ぎないのではないか。

考えること自体が億劫になっている。脳から汗を出して、情報や思考の点を結び付ける作業が面倒になってきた。
ただスペースを文字で埋めるだけ。この作業は、責任や使命ではなく、「惰性」という言葉がぴったりだ。

私が携わっている制作物は、物事の意図が正しく伝わっていればいい。表現の幅が狭いため、私でもどうにか対応できている。
ただ、既存の情報を統合・分析して要約する需要は、生成AIの進化でなくなりつつある。

その事実に気付いてから、書く気力が前にも増して湧かなくなってきた。唯一無二である必要はないのだが、簡単に代替されることに懸命になれない。
今さらそういったことを言っても仕方がないのは分かっている。置かれた環境の愚痴を他人にこぼしても、「同情してほしいんですか?」と言われるだろう。

自分で方向転換するなり、結果で自信を取り戻すなり、何かしたら行動しなければ沼にはまりそうだ。