無理が当たり前になる時間と習慣の関係性~感情のコントロールができる環境に

気が付いたら、オフィスの椅子に座っている。土日が過ぎ去るスピードは音速並みだ。
もうずっと会社にいるような感覚に襲われる。今に始まったことではなく、社会人になってからずっとだ。

濃密な時間を過ごしているわけでもない。意識がはっきりしている時間の消費量が多いからだろう。
決まった時間に起きて、決まった時間に同じ場所へ行き、決まった場所にご飯を食べる。この規則正しい生活が、身体と脳に刷り込まれているから、デジャブのような感覚に陥る。

 

習慣化は、本能的に疲れにくい身体や脳の動かし方にシフトしているのかもしれない。「手の抜き方」と言った方が適切だ。
動き続けることが美徳とは限らない。全力で走って倒れるよりも、ほどよいスピードで完走する方がいい。瞬間的に無理しなければならない場面も確かにあるが、それが常態化しないようにする努力を惜しまないようにしたい。

 

習慣が与える影響は恐ろしいもので、無理が当たり前になってくる。
さまざまな事情で避けられないことの方が多いものの、「負荷が大きくなっているな」との感覚だけは失いたくない。

睡眠時間が足りないと、感情のコントロールが難しくなる。空腹になれば気分が落ち込む。運動不足になれば、睡眠の質が下がる。
そう考えると、自分で決められる時間の多さが幸福度を左右するのかもしれない。

無理することにギアチェンジする機会に出会うことが少なくなってきた。
成長意欲はあるものの、「やるぞ!!」と公言できるほどの意欲が湧かない。「それなり」の心持ちである。

 

だから、ある程度眠れて、ご飯も美味しく食べられている。
実にありがたいことだ。