文章と向き合う時間が減り、確実に腕と頭の回転が鈍っている

文章と向き合う時間が年々減っている。仕事で書く機会が少なくなり、文量や精度も求められなくなった。
腕も、頭の回転も確実に鈍くなっている。生活には困っていないものの、自分の存在意義が薄れるような気がして怖くなるときがある。

 

自宅に、業界紙記者時代に書いた新聞のバックナンバーを保管している。
ポートフォリオとして転職活動に使うために、とくに力を入れた特集、退職する2年前までの新聞を置いていた。

 

ウォークインクローゼットに平積みしているため、着替えるたびに視界に入る。
暇なとき何気なく読むと、「昔の方がうまく書けていたな」「これって本当に自分が書いたのか?」と自画自賛してしまう。
過去を振り返ることでしか、自己肯定感を高められない自分が少し情けない。

 

そう思うのは、情報を取捨選択し、読みやすい論理展開と文章表現を考えられていないからだろう。
書くスピードが遅く、情緒的な文章を書けない。人付き合いも下手。斬新な切り口も考えられない。
そんな私がせいぜいできることは、「少ないストレスでどう読んでもらうか?」にこだわることぐらいだった。

 

そのこだわりさえも捨てようとしている。
短時間で書くことばかりに執着し、手垢のついた言葉で体裁の整った文章を書く。
それに満足している自分がいる。

 

ありがたいことに「書く」ことで生計を立てられている。
今の環境に感謝しながらも、文章生成AIが急速に進化するなかで、どこにこだわるべきか迷っている自分がいる。