不惑の境地に達していない~40代でもずっと迷っている~

出所:ぱくたそ[ https://www.pakutaso.com ]

孔子が『論語』で「不惑」と言っていた40歳を超えても、まだ迷っている。仕事、人間関係、趣味、生き方など、悩みであふれている。おそらく死ぬまで迷い続けるのだろう。

 

年齢を重ねると、見える景色が変わる。1軸、2軸で比較して判断できることが少なくなった。片方を優先すれば、片方が成り立たない。そういった「トレードオフの法則」で考えると、何もできなくなる。

 

現状維持が精一杯だ。正面からは上手く進んでいるように見えても、足元は絶妙なバランスで立っているに過ぎない。40代は、リスクを承知で挑めず、現状維持で満足できる位置でもない。

そんなとても微妙な年齢なのではないか。

実践が伴わない毎日

納得して転職したものの、なかなか活躍できる機会が巡ってこない。精神的なストレスはなく、とても自由だ。残業もほぼない。恵まれた職場環境で働けていることに感謝している。

 

贅沢を言うなら、刺激がまったくない。自分で仕事をつくっているものの、物事がなかなか進展しないのだ。

 

自己研鑽する時間はたっぷりあるので、読者がはかどる(仕事関係の書籍に限られているが…)。ただ、実践が伴わないので、試行錯誤も机上ばかりで、成長している手ごたえがない。筋トレの知識ばかり増えて、身体がまったく大きくなっていない状況に似ている。

もっと客観的に見ろ

この現状をどう前向きにとらえるか。

自分自身の課題は、この一点にある。不平不満を言っても、何も始まらない。転職活動で気を紛らわすことはできるかもしれないが、環境が変わっても、同じことの繰り返しだろう。

 

何も結果を残していないのに辞めるわけにはいかない。職務経歴書に書ける具体的な実績もなければ、新たに身に着けたスキルもない。「ない」「ない」ばかりでは、40代の中年男を雇うところはないだろう。

 

30代の私なら、「こうじゃなかった!」「納得いかない!」で長い間文句を垂れているところだが、もうそういう歳ではないことは理解しているつもりだ。もっと客観的に、自分を見なければならない。

こう書いていると、我ながら「少しは大人になったな…」と思う。

ハードルを上げないトレーニング

今すぐ活躍する場面がなくても、睡眠と健康だけには気をつかっている。

「食べ過ぎない・しっかりと寝る・身体を動かす」だ。同年代と集まっても、病気に話題になることはないが、自分自身のなかでは衰えを感じている。

 

夜遅くまで起きれなかったり、つけ麺の特盛が食べられなかったり、急にめまいがしたりと、30代ではなかったようなことが起きている。若く見せるつもりもないが、せめて日中ぐらいは全力で頑張れるだけの習慣は続けておきたい。ブログやnoteも、書くハードルを上げないためのトレーニングである。

 

時間があっても、なくても悩むがなくなることはない。それでも40代のうちに、不惑の境地に達していたいものである。