教え方に対する考えの変化
毎週日曜、吹奏楽団の練習に参加している。練習よりも教えている時間の方が圧倒的に長い。技術レベルがいきなりアップしないことは分かっているが、相手が中々理解してくれないことにイラッとすることもある。
中学、高校、大学、社会人と、教えてきた楽器初心者のなかには、卒業後に吹奏楽コンクール全国大会に出場したり、県ソロコンテストでグランプリを獲ったりした人もいる。私の教え方が良かったわけではない。むしろスパルタ過ぎて、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
何が成長につながるのか
年月が経つにつれて、教えることに対する考え方も随分変わった。
30代前半までは「前教えたよね」「~年やってるのにできないの?」「時間がもったいないから何回も同じこと言わせないで」といったことを話していた。小学生、中学生のなかには、ポロっと泣いてしまう人もいた。
それでも頑張って演奏し、成長する姿に「自分の指導方法は間違っていない」「私もこうやって鍛えられてきた」と思ってきた。ただ、仕事でティーチングやコーチングをする機会が増えるにつれて、「厳しく教えることが必ずしも成長につながるわけではない」ことに気付いた。
厳しいことがすべてではない
相手のためを想って厳しくするというのも一理ある。
でも、それがすべてではない。相手によって、強く言うことで萎縮して力が発揮できないかもしれない。言いにくい雰囲気や関係性になることで、相手の考えを理解する機会が失われ、私自身も間違いに気付くことができない。お互いにとって損失だ。
言語化することに慣れていないメンバーもいる。「何が分からないのが分からない」状態だ。そういったときは、順番に教えて、会うたびに確認し、答え合わせをするようにしている。
答えられなくても、「大丈夫!少しずつできるようにやっているよ!」「以前よりも、ここが良くなっている!」と誉めるようにすると、教わる側も自信をもってくれるようだ。
「ようだ」としたのは、この教え方も完全ではないからだ。やさしく教えることで甘えた姿勢になるのも、本人のためにならない。
さじ加減が難しい。だからこそ、教える側も勉強する機会をもらっていると受け止めて研鑽する必要がある。
写真出所:ぱくたそ[ https://www.pakutaso.com ]
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