物事の優先順位が変わるとき~好きだったことが惰性に陥る
続けていることがすべて良い方向に作用しているわけではない。これまで積み上げてきたものが捨てられず、惰性に陥っていることがある。
私にとって吹奏楽がそれだ。気付けば、初めてから四半世紀が過ぎた。
プライベートの人間関係や経験は、ほぼ吹奏楽で築かれたといっていい。学生時代は楽しい思い出ばかりで、人生で純粋かつ真剣に努力したことだった。
どうやったら上手くなるのか。そればかり考えていたような気がする。
抜群に吹けるわけでもなく、「まあそれなりに」と言われる程度だったが、それでも本番が終わるごとに達成感があった。
演奏者ではなく、運営スタッフとして
社会人になって、仕事が忙しくなり、さらに自分の家庭ができると、吹奏楽の優先順位が急激に下がった。
所属する楽団のなかで、演奏者ではなく、運営スタッフの役割をせざるを得なくなったことが大きい。
練習会場の予約、スケジュール調整、資料作成など、練習よりも事務に労力を割く。
全体練習日は吹けないメンバーを教える。本番の日は、スケジュールに基づいて指示を出す。演奏は片手間だ。
最年長者ともなれば、当たり前かもしれない。誰かがやらなければならないのだから。
自分で刺激を起こすことができず、惰性になっていることに気付いていながらも、しがらみから抜け出す勇気がない。
これまで人前で指示していた人が辞めたら、「あれだけ偉そうに言っていたのに…」と思われるに違いないからだ。
辞めることで得られるものもあるはず
ある程度経験しているため、刺激が少ないことも惰性の原因だと思う。
必死に練習しなくてもある程度吹ける。それに楽団の都合上、元々吹いていた楽器からコンバートしているため、上達の意欲が薄れていることもある。
練習に参加しているのは、「自分のため」ではなく、すべて「他人のため」だ。
好きなように過ごせる休みのはずなのに、日曜も自己犠牲を強いられる。本当は自分の好きなようにすればよく、まわりに攻めるような人はいない。
ただ、意気地がなく、年長者としての役割を演じているだけだ。
こういった考えを持っていること自体、精神的に良い影響を与えていないと思う。年齢や環境によって、物事の優先順位が変わることは仕方がない。
続けているからこそ得られるものもあれば、辞めることで得られるものもあるはず。それを理解していながらも、四半世紀も続けていると、よっぽどのことがなければ辞められない。
転職と同じで、自分できっかけをつくるしかないのだろう。
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