反響がないのは当たり前~書くモチベーションを維持するには~
こだわって書いたのに、まったく反応がない。そういったことは日常茶飯事。当たり前すぎて、がっかりすることもなくなった。
むしろ反響がある方がめずらしい。業界紙だけでなく、委託されて制作された発行物もそうだ。厳選したテーマで、ストーリー性と話題性がある記事が書けても、読者の声が書き手に届くことはない。
記者になったばかりの頃は、勝手に期待して、勝手に落ち込んだ。それだけ業界紙の可能性を信じていたということだ。
それは貴重な時間を割いて対応してくださった取材先も同じ。同業者や顧客から「載っていたね!」との声もなかったときには、新聞の価値さえ問われかねないような後ろめたい気持ちになる。
自己満足で頑張れる
時間の経過とともに、反響がないことにも慣れる。
一喜一憂するほど余裕があるわけでもない。苦労を共有する機会も、社内から感想がもらえることも少ない。改めて考えると、精神衛生上、それがとても良かった。
労力に見合った対価が得られることが多ければ、まわりから反応がなかったときに、次に向かう活力が失ってしまうような気がするからだ。
自分でモチベーションを維持する術がなければ、書くことで生計を立てるのは難しい。
私にとって維持する術は、記事が最後まで書けたときの達成感だ。
書き出しに悩み、言いまわしに苦労する。取材時の記録を行ったり来たりしながら、文章の構成を考える。在籍していた新聞社は、記事1本あたりの文字数が指定されていたため、ときには紙面スペースを埋めるのに苦労した。
仕事だから役割を果たして当然である。しかし、文章は正解が一つとは言えない世界だけに、自分のこだわりを追求できる。極端な話だが、自己満足だけで頑張れる。
読者の数だけ関心がある
こだわりには、有限な労力と時間を消費する。投じた分だけ結果が得られるわけではなく、いくら悩んでも徒労に終わることも多い。
悲しいことに、テーマや表現にこだわっても、読まれなければ意味がない。見出しだけ読まれて、肝心の本文は素通りされてしまう。自分にまったく関係がなく、興味もない話題が読まれるわけがない。
わずかな希望は、読者の数だけ関心があること。ニッチなテーマでも、具体的に動いている取り組み、提案実績のあるサービスであれば、関連する企業で働いている人は必ずいるはずだ。
それを知っているからこそ、大手一般紙に比べて、知名度も、発行部数も少ない業界紙の存在意義があるのではないだろうか。
自分のスタイルを否定できない
読まれない理由は、書き手側に問題がある。
取材テーマ、見出し、書き出し、文章構成、写真など、読者の興味を引き付ける要素は多い。記者も気付いていないわけではない。そこに割くだけの時間と労力がないのも確かだ。
個人的には、それらの要素に向き合うには勇気がいる。勉強することも、他者の意見を聞くことも、優れた文章と比較することも、経歴が長くなるほど、自分のスタイルを否定しづらくなるからだ。
40歳を超えると、まわりが成長させてくれる機会をつくってくれることはない。
大きな壁にぶつかりそうなときは、うまい具合に逃げるだろう。外には「書くことにこだわっています」と言いながらも、そこまで胸を張って書けていない。
それが分かっているからこそ、反響がないことにがっかりしないのかもしれない。
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