自分本位で動き、締切を守れなかった人の「忙しさ」は免罪符にならない

締切を厳守する。当たり前のことができていない人がいる。物事の優先順位を決めるのはメリットの大きさ。そう思わせるほど自分本位で動く人が意外と多い。

個人で完結する仕事はほぼない。必ずその先にバトンを受け取る人がいる。その想像ができず、自分のスケジュールに合わせて制作する。自分が忙しいことは、少しも免罪符にはならないと思う。

遅れた分だけ受け取る人の時間が無駄になっている。スケジュールをやりくりした努力も無意味だ。「まだかな…」と心配する気持ちも、遅れる原因をつくった張本人には伝わっていない。悲しいことである。

せめて自分は、相手にそう思わせないようにしてきたつもりだ。本業においても、副業においても、遅くとも締切1日前には提出している。「助かります」と言ってもらえることもあるが、裏を返せばそれだけ平気で遅れる人がいるということだろう。

納期厳守は最低ライン

業界紙記者2年目までは、締切ギリギリになることが多かった。取材や文章にこだわっていたわけではなく、単に書くのが遅かった。制作時間の見積もりが甘く、気持ちばかりが焦ってばかりいた日々だった。

愚鈍な私でも、3年目以降は仕事の流れを把握し、なんとか締切よりも数時間早く提出できるようになった。休日に自宅で記事を書いてでも、前もって間に合わせる習慣を身につけられた。

心身を酷使する結果にはなったものの、その習慣は補助金支援コンサルタントでも生かされた。一定水準の質を維持しながら、納期を厳守する。それが最低ラインだと思う。時間をかければ、いいものができるわけではない。せっかく上手い文章が書けても、締切を守れなければ周りに迷惑をかけている分、関係者の心証も悪い。

「そういう(締切を守れない)人だから…」とがっかりされるのは、個人的に耐えられない。思考も、習慣も、悪いものほど抜けられないし、なにより指摘してくれる人もいない。歳を重ねるほど、自己を律する必要がありそうだ。