【読書】土井善晴『一汁一菜でよいという提案』
具たくさんの味噌汁を作ることが多くなった。
白米に漬物も添えて、夕食を済ませる。歳のせいだろうか、とくに物足りなさは感じない。
きっかけは、Youtubeで『情熱大陸』公式チャンネルが料理研究家の土井善晴氏を取り上げていたことだ。
お椀一杯に入った野菜と、ハサミで切った豚肉を煮込み、最後に生卵を加える。
「手間をかける必要はないんです」
「味噌汁も立派なおかずになります」
その言葉どおり、私も無理なく健康的な食生活を続けられている。
「和食献立のすすめではない」とのこと
今回取り上げる『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴著/新潮文庫)は、味噌汁が果たしている役割を解説し、メニューを写真入りで紹介しているだけではない。
暮らしにおける食事を哲学的に教えてくれる。もっと大きく言うと、土井先生が「人生における食とはなんぞや?」と語りかけてくるな一冊である。
本書は、冒頭で紹介される次の一文に集約されていると思う。
一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。
日常で食べる味噌汁は、あくまで家庭料理。飽きない味だが、手間をかけない。
四季の変化を感じながらも、慎ましい暮らしに欠かせない一品が味噌汁ということだ。
「味噌汁さえ作ればなんとかなる」そうだ。
味噌汁について、とくに印象に残った部分を抜粋して紹介する。
一汁一菜は、味噌汁を柱とします。味噌汁さえ作ればなんとかなると思ってください。味噌汁はだし汁が大事とは言いません。(中略)味噌を溶けば味噌汁という料理名になります。それはなぜか。味噌だけは特別だからです。
肉は少し、野菜を多めにして下さい。前日の残りの鶏の唐揚げを野菜と煮込んで味噌汁にしてもよいのです。こうした味噌汁は毎回違う味になります。再現性はありませんし、あまりおいしくならないということもありますが、たまにびっくりするほどおいしくできることもあります。そのうち、おいしいとかまずいとかは大きな問題ではないことがわかります。
要するに、「一汁一菜というスタイル(考え方)」が基本であればよいのです。持続可能な一汁一菜のかたちをいつも頭において、何をどう食べるか決めるのです。ご飯がパンに代わっても、一汁一菜はできます。(中略)味噌汁とパンなんて言うとビックリする人もいるのですが、意外とお年寄りのほうが自由で、平気で味噌汁にトーストを入れたり十九を入れたり、ごはんに牛乳を掛けたりしています。
型から抜け出せない自分がいた
本書を読み終わり、型にはまっている自分に気付かされた。
味噌汁は最も身近な料理であり、固定観念を大胆に捨てられる可能性に満ちあふれた料理ということだ。
まだトマトを入れる勇気はないが、具材を数種類にする努力(こう言っている時点で手間をかけている気もするが…)は続けている。
こんにゃく、大根、わかめ、豆腐は、比較的傷みにくいため、重宝している。

味噌も二種類用意して、味の変化を楽しんでいる。肉を入れれば、出汁を取らなくても美味しいことが分かった。
最近は、夕食で多めに作っておき、翌朝に食べている。こうすると、お腹が空きにくくなったような気がする。
明日も味噌汁を作ろうと思う。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません