「それなりに書ける」は「何も書けない」と言っているようなものではないだろうか
転職活動の再開に伴って、自身の強みを見つめ直している。いつもどおり特筆すべきものがなかった。
業界専門紙の記者として、環境ビジネス、生産設備、労働安全衛生、防災など、さまざまな分野を担当してきた。補助金支援コンサルタントとして、それなりの実績は残してきたつもりだ。それでも「ほかの人にはない」と言いきれる能力がない。
言い換えれば「専門性がない」ということ。独自の視点で物事を語れるほどの知見を持ち合わせていない。ふわっとした話をそれなりにまとめる自信はある。いくら記事っぽく書けても、あくまで点の情報をカタチにした程度。深さと広さが足りない。
配られたカードで勝負するしかない
独自の視点で事象や時流を分析できないのは、ひとえにキャリアの軸足が定まっていないことにある。
「書くことで生計を立てる」として、BtoBビジネスに焦点を当て、生きてきたつもりだ。しかし、振り返ってみると、自力で生きていけるほどの実績はなく、あくまで会社という看板があってこそ生きているに過ぎないのだ。
状況に合わせて負荷を調整してきたツケといっていい。こだわり、情熱、好奇心は、自信に比例すると思う。生成AIで記事っぽい文章が立ちどころに出来上がる世の中において、ライターとして「それなりに書ける」は、「何も書けない」と言っているような気がしてならない。
今さら大幅な方向転換はできない。スヌーピーの名言どおり「配られたカードで勝負するしかない」のだ。スキル、実績、キャリアを結び付け、自己の価値に納得感を持たせる。何度試みても、難儀なことである。
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