「こうしたい」という願望はあるけど、明確な答えがないところに価値が生まれる
明確な答えのない仕事が増えている。
「こうしたい」という願望はあるけど、そこに至る方法は丸投げされる。
脳を働かせて、手を動かすところに価値が生まれる。
じっくりやればできることでも依頼されるのは、時間をお金で買っているようなものだ。
言われたとおりにやるだけでなく、期待以上の出来栄えに仕上げなければ、顧客の納得は得られない。
合格の水準が分からず、手探りで取り組むことの不安さは、効率ばかり求めてきた私にとって苦痛に近い。
それも顧客に答えがないからだ。当然である。答えがあるなら、外部の業者に依頼はしない。
だからこそ、私にも仕事がまわってくる。答えのヒントを引き出して、カタチにすることも仕事になる。
霧かかった的に矢を射続けることで、少しずつ狙いが定まってくる。ようやく当てたときには、これまでの無駄も価値のあるように感じるから不思議だ。
仕事の精度を上げるには、知識よりも経験が必要なことを痛感している。
企画の立案、進捗管理、コピーライティング、交渉など、自分の実力のなさを思い知る毎日である。
時間の投下量や熱量が足りないことも自覚している。
あまり無理せず、アクセスを全開まで踏まない。全力を出した結果、神経をすり減らすことが怖いからだ。
いかに就業時間内でタスクを終わらせて、余暇を充実させるか。そこに価値を見出そうとしている。
リフレッシュすれば、手探りの作業も気持ちよく取り組めるはずだ。
いきなり100点は狙わず、60~70点ぐらいの出来栄えで満足してもらえるぐらいの精度にはしたい。
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