仕事に納得感はいらないのではないか~変わりつつある価値観~

「給料が発生している以上、仕事だからやる」
とてもシンプルな答えだ。
納得感はいらない。組織が決めたことだから、社員は目標に向けて挑戦するだけである。

個人的には、その結論に至った理由が知りたい。
社内で起こった類似の例を挙げて、方向修正を図りたい。
想いばかり先行して、具体性に欠ける計画を指摘したい。

このような行為は、組織の改善を考えたものではなく、所詮個人の納得感を得るためだ。
完全に納得できることはなく、ストレスが溜まるだけだ。

疑問が先行する弊害

問いにこだわるあまり、実直に取り組む素直さを忘れている。
疑問が先行する考え方は、指示を出した相手への不信につながる。
まずやってみて、あとから見えてくるものもあるはずだ。

考えていることを放棄するわけではない。
思考の比重が高く、行動を軽視する傾向が強まっていることを恐れている。

私自身、腰が重く、ある程度納得しなければ動けない。
納得しても、まわりの状況が変化すれば、想定していた答えにたどり着かない。
それが組織や取引先に対する不満につながる。

タスクは区切っても、勝手にゴールを設定しないように最近心がけている。
「ここで終わり!」と決めてしまったら、手戻りの業務が発生したとき、大きなストレスになるからだ。

顧客ありきの仕事は、手戻りが発生して当たり前なのかもしれない。
方向性を確認しても、当たり前のように軌道修正される。
きっちり仕上げても、イチからやり直しになることも頻繁にある。

だからといって、制作物の質を落とすわけにはいかない。
対策として、時間や行動に対する価値観を変えることにした。

多少のことは飲み込めるように

顧客や会社からしたら、下請けのことなんて知ったことではないだろう。
金銭のやり取りが起こっているからには、「何が何でもやれ!」となるのは仕方ない。

理不尽なことがあっても、多少のことは飲み込む。
大人であるならば忍従する方が多いはず。裁量の幅が広く、ある程度自分勝手にしていた年数が長かった分、物事を受け入れる度量が狭くなっている。

そう認識しているものの、思考の癖は中々直せない。
しかし、方向修正する努力がなければ、精神的に参ってしまう。
あくまで意識、されど意識である。