制作物に関して「私が書きました」と言えない状況に納得できない

承認欲求を抑えるのに苦労している。「私が書きました」という声を我慢する日々だ。
他人から見れば、ただ文章にしているだけのことかもしれない。しかし、それでも時間と労力と資金を投じて、スキルを磨いてきた自負がある。

 

その自負があるからこそ、人の褌を相撲を取っている振る舞いがどうしても納得がいかない。
それに対して黙っていることが大人なのか。他人の制作物を自己の功績にすることが大人なのか。自分の心に折り合いをつけられない。

 

「わかっている人だけ理解してくれればいい」と言いたいところだが、私が書いたものであることを知っている人はいない。
自分で自分を慰めようにも、腹立たしい感情の方が先に湧いてくる。今年に入って、こういったことがたびたび起こっている。これからも起こるだろう。

 

社会人になって20年近くになるが、このようなケースに発展したことはほぼない。
今まで比較的な清浄な世界にいたのだろうか。それとも今住んでいる世界が「制作物」の概念が大きく異なっているのだろうか。住む世界、育ってきた環境が違うと話が通じない。

 

表面的には従順を装いながら、心中は真っ黒である。
10年前なら「おかしいでしょ!!」と激高しているところだが、今は「言葉と気持ちが通じない人にも言っても、時間と労力の無駄」と思っている。
生産性のないところで戦っても、何の成果も得られないことが分かっているからだ。

 

だれがつくったものでも、クライアントや読者からすれば関係ない。正確でわかりやすく情報が伝わればいいのだ。
このもやもやした気持ちは、どこまでも私個人の問題である。
ただ、まわりからの評価が高いときは自分の功績にして、問題になったときは私のせいにしたときは、真っ向からぶつかるつもりだ。

 

まだまだ大人になれない。