仕事関係の書籍を読みながら、「読書って意味あるの?」と思うときが時々ある
「覚えていないし、すぐに実践しないけど、意味あるのか?」
仕事関係の書籍を読みながら、こう思うときがある。
物事の理解という刺激は、確かにある。それも一時的なもので、何かむなしい。どうしても時間と費用の対価を求めてしまう。
ページにかかわらず、頭に残らないのは歳のせいではないと思う。
おそらく10年前、20年前からそうだ。自宅の本棚を眺めて、背表紙のタイトルを見ても、どういった内容だったか思い出せないのは、以前からあったことだ。
集中力が落ちているわけではない。学ぶ意識が足りないわけではない。
仕事関係の書籍とはいえ、自分の関心のあるものしか買っていないから、読みたいものであることは間違いない。
経験と知識では心もとない
転職にあたって、以下の分野について、学び直しを進めている。
-
ライティング
-
デザイン
-
マーケティング
-
ディレクション
-
思考法
-
資料作成
ライティングにしても、これまで紙媒体が中心で、Webの作法が理解できていない。思考法も、業務に合わせて、ざっくりと頭に入っている程度である。
「体系的に学びたい」というよりも、これまでの経験と知識だけを頼りにして仕事をするのは、どうにも心もとない気がする。だからといって、中途採用のおじさんにイチから教えてくれる人はいない。自分で試行錯誤するしかないのだ。
時間が刻々と過ぎるなかで、身についていないことに焦りを感じる。
自分と向き合う時間
「知識が身についていない=無駄」と割り切るのは、もったいない気がする。読書には、刺激も、発見もある。第一線で活躍している人、偉業を成し遂げた故人に会えなくても、文字から考えを知ることができる。
2,000円前後の投資で、それができるのは中々すごいことではある。それに読書は、自分と向き合う時間ともいえる。
書いてあることのなかでも、自分に関心があるのはどこか。
なぜそう思ったのか。
今後どう生かしていくのか。
そう考えるだけでも、時間と費用の対価は十分得られているのかもしれない。読書量は、これから仕事に取り組むうえで、きっと自分を支えてくれるだろう。
教えてくれる人がいないからこそ、そう思い込みたい。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません