原稿訂正について思うこと

「事実と異なる部分があったら指摘ください」
そう一筆添えて掲載前の原稿を渡したところ、真っ赤になった状態で返ってくるときが、年に1、2回ある。

 

確認すると、取材のときに話していないことが盛りだくさんで入っている。
話した内容や具体的な数字の大部分が削られ、取材先の広報担当者によって、どこかで聞いたようなフレーズに変えられている。

 

生の声が読者をひきつけるポイントであるはずなのに、飾られた言葉になると、途端に面白さが消える。

こう考えるのは、書き手の独りよがりなのかもしれない。
書いた苦労が報われないこともある。ただ事実は合っているはずなのに、こうも無難で平坦な内容にすり替わるのだろうか。

 

大幅な修正が入った場合、元原稿の意図を説明しても納得されないことが多い。

修正自体、脚色をしているわけでもなく、こちらがごり押しできる立場でもないので、引き下がるしかないことがほとんどだ。

 

書き手として、自らに課した合格点の基準を下げることは簡単だ。
ニュース性も、話題性もない無難な内容にすればいいだけ。
基準を下げると、何のために書いているのか分からなくなり、惰性に陥る。

 

こだわりと妥協のせめぎ合いが今日も起こっている。