ChatGPTに対する抵抗感~「考える力が衰えてしまうのではないか」という懸念~

いまだにChatGPTを積極的に使えていない。
「考える力が衰えて、バカになってしまうのではないか」との抵抗感が拭えていない。
何でもかんでも頼りそうになるのが怖くて仕方がないのだ。

 

質問するだけで答えが返ってくる。読みやすい文章で答えてくれるところが、何となく納得感を与えてくれる。
この正確性を醸し出しながらも、間違ったことを教えてくるところが実に巧妙である。
この罠があるからこそ、手が出しにくい。

 

専門外のことだから質問しているのに、その答えの正否を判断できない。
時間がないから鵜呑みにした結果、失敗して、取り戻すことに時間をかける。
こんなに馬鹿らしいことはないと思う。

 

書くことの大きな価値

現象や情報を分かりやすく伝えたり、自分の意見を言語化したりするのは、手間がかかる。
「書いて、消す」の繰り返しだ。

 

伝えたいことははっきりしているのに、上手く表現することができない。
そのもどかしさが辛いし、面倒であることは間違いない。
たった600文字を書くだけでも、1時間以上かかることもある。

 

ただ、それでも書くことには、大きな価値があるのではないか。

 

まわりで発生していることが必ずしも、世の中の流れと連動しているわけではない。
それに思っていることを伝えられるのは、本人しかいない。

 

事実をどう結びつけて伝えていくのか。
ここに書くことの醍醐味があると思う。

良き相談相手として

ChatGPTは、新しい視点に気付かせてくれる「壁打ち」のような価値があるのではないか。

 

多くの情報をもとに、仮説を複数考えても、どうしても行き詰まるときがある。
思考が硬直して、いつも同じパターンばかりになってしまう。
安直な答えに進んでいることは分かっていても、引き出しが少なく、納得する仮説が出てこない。

 

そういったときに、ChatGPTは最適だと思う。
文章生成の点では期待していなくても、良き相談相手としては仲良くしたい。

 

まだお近づきになれていないが、今はそういった心境である。