【読書】強みと生き方を考える~城山三郎『秀吉と武吉 目を上げれば海』
『秀吉と武吉 目を上げれば海』(城山三郎著/新潮文庫)は、瀬戸内海の海賊として戦国時代に活躍した村上武吉の生涯を描いている。
毛利元就の領域拡大に助力しながらも、村上三島(能島・来島・因島)の首領格として、独立不羈にこだわった姿が印象的だった。毛利元就、小早川隆景、織田信長、豊臣秀吉の圧力に対しても、強気の態度に出られたのは、海を知り尽くし、水軍の戦い方を熟知した上で訓練を重ねてきた土台があるからだろう。
強固な結束力を誇っていた村上三島も、地理的状況によって弱みが異なり、その点を外部から少しずつ突き崩される流れが面白かった。
来島と因島は、塩や農産物などの交易から収益が得られるのに対して、村上武吉が率いる能島は「帆別銭(ほべちせん)」で生計が成り立っている。帆別銭は、関所の通行料のようなもので、海路の安全を保障する役割もあったようだ。これが禁止されないように、村上水軍の武力によって、中国覇権の鍵を握るキャスティングボートの立場をアピールする場面が何度もあった。
本作品から印象に残った一節をいくつか抜粋して紹介する。
訓練と掟による組織強化
「きびしい訓練ときびしい掟。それさえ保てば、兵は強いのだ」
いまひとつつけ加えたいことがある。団結すれば、戦力は五倍にも十倍にもなり、瀬戸内に壁をつくることができる。
「その幸せのためには、つらい代償を払わねばならぬ。つまり、訓練であり、規律であり団結だ。この三つがある限り、幸せに生き残れるかも知れぬ」
「命を粗末にするな。船を枕に討死するな。たとえ他の船に乗り移ってでも、生き永らえよ」といった趣きを、武吉は兵法書にも記してきた。先祖代々の言いつたえにも「よく守る者は、九地に隠れても守る」との文句がある。地の中にもぐりこんででも生きよ、というのである。
微妙な色分けだが、意地は要るけど、潔さは要らぬ。それが海賊衆なのだ。その点では、戦わずに逃げることも、また降伏することも、意地をすてることになり、いずれも海賊衆の道ではない。となると、戦い尽くした後、落ちのびれるものなら落ちる、それしかないのではないか。
「能島の再興のためには、とにかく心だけでも一つにまとめることだ。加えて、訓練。それに心の備え戦の備えだ。まとまる、鍛える、備える。この三つを忘れないように」
リーダーの振る舞いと人材育成
武吉に、話は何よりの馳走であった。武吉は隆景の心くばりがうれしかった。
隆景は四十一歳。武吉より七つ年下なのに、年長かと思わせるほどの落着きを感じさせた。
「堪忍」そして「思案」の心掛け。戦の合間にも数多い書物や人に触れてきた。元就亡き後の責任感。そうしたものが隆景の人柄をつくってきた。
武吉は新兵衛を水夫から引き上げた。人は大切、まして新兵衛は物頭である。物頭として活かすために、少しでもそれにふさわしい見識を持たせておいてやること。そのための労を惜しんではならない。
「歌を優雅や軟弱なものとだけ思うな。連歌はただのあそびではない」
(中略)功徳は他にもある。歌は次々と読みつがねばならない。そのためには、日ごろの勉強も要るし、気合や気魄も必要で、それを養う場にもなる。すばやく物を考え、すばやく心を決める。ということでは、戦場での指揮にも役立つし、細かなことだが、追いつめられた中で辞世を詠むなどというときの助けにもなろう。さらに、各地の人々が集うため、情勢をつかむ足しにもなる……などと。
「意地だけではない。誇りも思惑も打算もある。ただ、意地が第一ということも事実。意地なくしてどうして海で生きられよう」
「恩賞の大小は問うまい。問題はどちらの約束が信頼できるかだ」
息子たちは息子たちの時代を生きる。むしろ、武吉とは別に、そうした才覚というか、本能で逞しく生きるべきなのかも知れない。
自己の強みを認識する
村上三島は、水軍の強みを活かすことで、独自の立場を確立した。それでも、豊臣秀吉が築き上げた大きなうねりに逆らえなかった。そのなかで、能島、来島、因島は、それぞれ別々の道を歩む。
村上武吉が選んだ道は、海賊としてのこだわりを強く示したものだった。毛利、織田、豊臣と、覇者とともに、時代の流れも大きく変わる。ルールや仕組みが変われば、こだわりを捨てなけければならないこともあるだろう。
自分のとって強みとは何か。世の中における立ち位置、価値を認識し、折々に発信しなければ生きていけない。そのためにも、年齢や所属する組織の大きさに関係なく、訓練を続けていく必要がある。
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