【読書】転換期における指導者の在り方とは~城山三郎『冬の派閥』
『冬の派閥』(城山三郎著/新潮文庫)は、尾張徳川家14代当主である徳川慶勝の姿を通じて、転換期のおける指導者の在り方を問いかけている作品だ。
本作品は「熟察」という言葉が頻繁に登場する。半信半疑のまま行動しないということだ。朝廷と幕府の関係を深め、ときには徳川慶喜の尻ぬぐいをしながらも、まわりに真意が理解されず苦悩する。
時代の大きな流れに対して、不本意ながら立場上、周旋役として動かざるを得ない辛さが伝わってきた。
それでも熟察に徹する慶勝の姿を通じて、「自身の行動原理は何か」と考えてしまった。
本作品から印象に残った部分を抜粋して紹介する。
熟察による行動
ただ、慶勝は荒療治は望まない。水戸の諸生・天狗両党の抗争のようなことになっては、困る。「慈忍」の心を以て、「熟察」しながら、事を進めていこう。
本当の尊王とは何かを見きわめ、慶勝なりの熟察を重ねて、たとえ地味でも、一歩一歩責任のある歩みをとるべきだ、という考え方になっている。
やきもきしても、もはや間に合うまい。慶勝は、「熟察」の敗北を感じた。激動の世のでは、ぐずはついにぐずでしかなかったのか。
人材の条件
春嶽や島津らの抱える人材と、慶勝はつい比べたくなる。
意気や才気だけではない。学識、情操、胆略、行動力、人間味……。
人づくりにおいて、尾張はおくれている、と慶勝はまた思う。経済的に恵まれすぎ、満ち足りた藩であっただけに、よけいにおくれてしまった。
慶勝の見る人材の条件とは、礼儀廉恥、文武両才とともに、官職に耐え抜くという「覚悟専一」であることであり、銘々の得手不得手については、同役上役に書面にて申し出て、適所に配置さるべきだ、とした。
行動原理の大切さ
尾張藩内においても、佐幕と勤王で藩論が統一されず、「朝命」のもと、家臣を粛清する事態に陥るシーンがあった。
大きな組織であっても、時代の流れの早さには抗えないということだ。むしろ、大きな組織だからこそ動きにくい、変えにくいということかもしれない。
熟察を重ねているあいだに、まわりが暴走して事態を収拾できない。だからといって、行動ばかり早くても、まわりが混乱することもあるだろう。
情報分析力、行動力、影響力、人望、実績など、指導者に求められる要素は多い。ただ、それで事態が好転しなくても、行動原理や価値観が確立していれば、自分を律していけると思う。
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