【読書】不遇な立場にあっても逃げない~城山三郎『男子の本懐』

『男子の本懐』(城山三郎著/新潮文庫)は、1930年1月に実施された金解禁を推し進めた浜口雄幸と井上準之助の生きざまにスポットを当てている。

内閣総理大臣と大蔵大臣が成すべき取り組みは、緊縮財政と行政整理による金解禁にあった。国難に生命をかける姿勢もさることながら、異動で不本意な立場に置かれながらも、逃げ出さずにやるべきことに取り組む姿勢に学ぶ点が多かった。

備忘録として、仕事に対する考え方も含め印象に残った点を抜粋して紹介する。

浜口雄幸に関する記述

経済学を中心に、勉強だけは続けた。それに、松山以来、ずっと「ロンドン・タイムズ」を購読している。たとえ草深い日本の田舎に居ても、その草に埋もれることなく、目を高く上げ、国際的視野を失わないようにしよう、というのである。

 

(初代満鉄総裁となった後藤新平からの満鉄理事就任要請に対して)浜口は辞退した。

「手がけている塩田整理を、投げ出して行くわけには行きません」

という理由からである。

ぼやくことはあっても、その仕事から中途で逃げ出すのは、男として卑怯だ、と浜口は考える。

 

浜口にとって、不遇はいまさらのことではなく、また恥ずべきことでも、心臆することでもなかった。この旧友からも、学べるものは学ぼう、という姿勢であった。

 

少しでも症状のよいときには、浜口は朝夕刊合わせて十種類ほどの新聞をベッドの脇に置き、時間をかけて、隅から隅まで読んだ。

「それでは体に障ります」

と家族が心配しても、

「自分が新聞を読まないようになったら、それはもうだめなときだ」

と、とり合わなかった。

 

「議会で約束したことは、国民に約束したことだ。出るといって出ないでのは、国民をあざむく。宰相たるものが嘘をつくというのでは、国民はいったい何を信頼すればいいのか。事情はどうあろうと、自分はいいわけなどしないで、約束どおり登院する」

井上準之助に関する記述

井上は、営業局の部下にいう。

「仕事はぐずぐずやるな、機敏にかたづけろ。かたづけたら、遠慮なく帰れ」

 

井上は、部下について、細かいことに気のつくひとであった。

たとえば、服装。給仕がボタンのとれた服を着ているのを目撃した井上は、給仕を監督する立場に在る行員を呼んで、注意する。

(中略)「形は心を支配する」のだから、小さなことだからといって、ゆるがせにしてはならない。ボタンひとつが、一日の仕事以上の問題にもなる―これは、井上の仕事の美学でもあった。

 

井上は、その後も重要演説の草稿は自分で書く他、一万田尚登ら若い秘書に演説の腹案を話し、その秘書に任せて書かせた。

十二時に読む原稿を、十一時に命じて書かせる、ということもあった。そして、急いで書き上げた秘書が、

「わるかったら、抹消して書き直します」

とでもいおうものなら、井上は雷を落とした。

「男が一度書いたものを取り消すとは、何事だ!」

 

“One thing once"―いかにも井上好みの言葉で、井上はよく口にした。

〈二度といわせるな〉という意味であろうが、井上の口から出ると、その短い文句には、

〈男というものは、一回一回が勝負だ。集中してやれんのか〉

といったひびきが、こもっていた。

「ワンシング・ワンス」の生き方であれば、形式、序列などにかかわっては居られない。

 

「こういう風に肩を張って胸を突き出し、首を真っ直ぐにして歩かなければならぬ」

と、実演して見せた。

失策があって、頭を掻きながら報告に出ようものなら、それだけでまた叱られた。

「人は常に態度に気をつけ、堂々たる容姿を以て人に接しなければいかぬ。自分の気持ちを人から悟られるようでは何事もできぬ」と。

 

「常識を養うに読書の必要はないかもしれぬ。そしてまた日常の事務を処理して行くのにも読書の必要はない。しかし、人をリードして行くには、どうしても読書しなければならぬ」

あるいは、こんな風にもいった。

「明日起こってくる問題を知るためには、どうしても読書しなくてはならぬ」

 

井上は、金本位制からの脱落を嘆いて叫んだ。

「建設はいかに難しく、破壊がいかに容易であることか!」

信念の大切さ

信念があっても、まわりから理解されないことが多い。自身が望むことと、まわりが期待することが大きく乖離していることも多い。

そのようななかにあって、妥協せず、与えられた環境のなかで尽力することは難しい。

そこでも腐らず、目の前の仕事に取り組むには、自分なりの信念やこだわりが必要だと思う。

40歳を超えても、それらを確立できないことに改めて気付かされる一冊だった。

読書

Posted by guzumoti