効率化重視の先にあるコミュニケーションコスト増大の可能性

少し愚痴らせてほしい。不明瞭なテキストコミュニケーションは、貴重な時間が奪われている気がしてならない。
個人的には、以下のようなケースが当てはまると思っている。

・質問の答えになっていない
・何が言いたいのか分からない
・「いつ・誰が・どこで・何を・なぜ・どのように」(5W1H)が書かれていない
・定義付けが共有されていない固有名詞や専門用語の使用
・「これ・それ・あれ・どれ」(こそあど言葉)の多用
・「できるだけ早く」「上手いことやっておいて」といった抽象的な指示

判断する権限がない業務の場合、初動で確認しなければ、手戻りの負担が大きい。
信頼関係を構築できていない段階、仕事の全容が見えていない段階で、独断で動けるほど度胸もない。臆病で神経質な性格の私にとって、具体性を欠くテキストは、ストレスの原因になる。

なぜなら質問することで、相手に「そんなことも理解できていないのか…」と思われる可能性があるから。少ない情報で仮説を立て、とにかく物事を前に進める大胆さが求められていることも分かっている。
必要な要件さえ明らかにならないまま進めて損するのは、業務に直接携わる私だ。だから恥をかいてでも、躊躇せず確認している。

受け手に手間を押し付けていないか

効率を追求するあまり連携がいい加減になっているケースも少なくない。要件をきちんと記載していない言葉足らずのメールは、受け手に手間を押し付けている。
伝える労苦を惜しみ、相手に考えさせる。質問して回答するやり取りが続くことで、コミュニケーションコストが発生している自覚はないのだろうか。

最近気になるのは、相手によって反応するスピードが大きく違う人がいること。顧客の要望にはすぐに対応し、社内や協力先(下請け)は遅かったり返信しなかったりする。

年齢に関係なく、である。限られた時間のなかで、最大限の結果を出すには物事の取捨選択も必要だ。
利害の大小にかかわらず、どうしたら相手が気持ちよく動けるか、物事がスムーズに進むかを考えたとき、言葉を惜しむべきではないと思う。

近道をしているようで遠回りしているようなものだ。