「年齢はたんなる数字」と言われるたびに、いつも違和感を覚える
「年齢なんて気にする必要はない」「年齢はたんなる数字」
そう言われるたびに、いつも違和感を覚える。
言っていることは理解できる。
年齢で何かの優劣が決まるわけでもなく、他人と比べることもおかしい。
ただ、対自分に置き換えると、考え方が小さくなるような気がする。
寿命を意識しながら生きることは、時間を大切にすることにつながるような気がするからだ。
家族と一緒に過ごせる時間、親に会える時間、勉強や楽器練習ができる時間……。
思っている以上に、個々に割ける時間は少ない。
忙しくなってくると、疲労感と充実感にごまかされて、時間が無限にあるように錯覚しがちだ。
ふと我に返ったとき、「目の前に取り組んでいることは、本当に必要なのか?」と考えてしまう。
外面を気にして、価値がないことに時間を割いている行動がどれだけ多いことだろう。
世間は年齢で判断する
いつ人生が終わるかわからないからこそ、自分の時間を大切にした方が良い。
他人をないがしろにするわけではなく、自分なりの価値観と論理で取捨選択してもいいはずだ。
選択の判断基準として、あらためて「時間」を置いても良いのではないか。
難しいことに、自分が「無駄」と思っていたことが後々になって「価値ある経験」になることもある。
遊びの誘いを断らなければ、もっと友人がいたかもしれない。
ライティングにこだわらず、動画編集の担当に手を挙げていれば、仕事のすそ野が広がったかもしれない。
結果論だが、人生で後悔していることはたくさんある。
「世間」という軸で考えても、他人は年齢をただの数値として見てくれない。
経験、知識、スキル、人間性など、年相応なものがなければ呆れられてしまう。
ある程度の年齢になれば、注意もされず放っておかれるだけだ。
そういった意味では、「年齢はただの数値」と考えるのは、世間という物差しを無視しているようなものではないか。
他人と比較するものではなく、あくまで自分の受け止め方の問題だからこそ、寿命を意識しながら行動することを忘れないようにしたい。
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