予定は未定、事なかれ主義の会社員が生きる道

予定は未定である。
企業から今後の展望を聞き、頃合の良さそうな時期になったら、「あのときに話されていた計画の詳細を聞きたいのですが…」と取材を申し込む。
しかし、まあまあの確率で計画が延期・中止になっている。

市況の動向によって投資の優先順位が変わるため、仕方がない。
製品開発が思うように進まず、先行発表したコンセプトだけ一人歩きすることもある。
いつまでも「まだら模様」「不透明感」との表現がついてまわる景況では、計画どおりにいかないのも理解できる。

経営者の言葉が軽くなるとき

人生にしても、組織にしても、思い描いたどおりになるのは最上の幸福だろう。
それも物事がうまく進まないというスパイスがあってこそだ。
労力、費用、時間を使った分だけの成果が得られる単純なものであれば、きっと悩みも少ない。

経営者の中には、花火を打ち上げるだけ打ち上げておいて、あとは放っておくケースも散見される。
従業員は、夢と期待を膨らませた分だけ失望も大きい。
それにもかかわらず、経営者は自分の言葉の重みが軽くなっていることに気が付かない。

実に悲しいことだ。

期待するだけ時間の無駄

最近になって、ようやく他人に期待しない心境になってきた。
期待するだけ時間の無駄。
相手にも事情があるのだろうから、断念した理由が言い訳のように聞こえるのも嫌だ。

経験、実績、立場がある人ほど、自分の領域を侵されることを嫌う。
善意で指摘したつもりでも、相手から悪感情を抱かれるぐらいなら黙っていた方がいい。
立場をわきまえた行動に徹することだ。

小学生の頃、何かの漫画で「会社員は事なかれ主義」との台詞を読んだ。
事を荒立てない、状況に合わせて生きる大人を馬鹿にしたような場面だったように記憶している。

大人になって実感するのは、事なかれ主義を貫くのも中々勇気がいるということだ。
言葉を選び、傷つけずに真意を伝えるのも苦心しなければならない。
物事を荒立てないのも中々大変である。

時間とともに状況は刻々と変わっている。
予定はあくまで未定。
経営者に「こう言っていたじゃないですか!!」と噛みつくのは、自分にとってマイナスにしかならない。