規則的な生活と自由な時間
自由に過ごせているのは、1日5時間ぐらいだろう。人によって尺度は異なるが、私の感覚で言わせれば「たった5時間」だ。朝起きて、支度して、通勤して、帰って、お風呂入って、そして寝る。固定勤務のため、どうしても規則的な生活になる。
最近までの2年間、リモートワークが続いていたものの、20年近くはこの繰り返し。あまりに慣れすぎて、長期休暇になると、かえって調子が狂う。
縛りがあるから頑張れる
それも、これも「会社」「仕事」という縛りがあるからだ。始業時間があるから起きられるし、約束や締切があるから頑張れる。
強制力こそ、人を動かす原動力なのかもしれない。反対に、自由な時間は、なんの強制力も発生しないので、自堕落になってしまう。
YouTubeも流しっぱなしだ。筋トレしているときも、お風呂に入っているときも、寝る直前まで流している。
意識しないまま時間が過ぎるので、あっという間に就寝時間になる。これが後々ボディブロー(されたことはないが…)のように効いてくるに違いない。
もっとこうしておけば…
「もっと勉強しておけば…」「もっと健康に気をつかっておけば…」「もっと人との時間を大切にしておけば…」そう思う日が必ずくる。失ったときに、時間の大切さを思い知るのだ。
そう考えると、少なからず世の中の役に立って、お金ももらえる仕事は実にありがたい。会社にいけば、誰かがいる。「きちんとしよう」と思える。
拘束されている時間があるから、自由な時間のありがたみも実感できる。金曜日の開放がたまらない分、日曜の夜の絶望感があるのだ。
それでも、あともう少しだけ自由な時間がもらえるなら、嬉しさも増してくるのだが…。
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