忙しさによる充実感と達成感に騙され、成長しないまま時間が過ぎてしまう
忙しさによる充実感に騙されて、自己成長がなおざりになってしまうことがよくある。
組織の流れに乗って参加し、スケジュールが埋まる。他人が設定したゴールに向かって進み、なんとなく終わる。
身体的な疲労でやりきった感覚はあるものの、投じている時間と労力に対して、経験から得た学びやスキルは少ない。
長時間が当たり前の練習
私にとって、吹奏楽が最たるものだ。
日曜は朝から夕方まで全体練習に参加する。楽器経験の浅いメンバーを教え、団内で注意すべきことがあれば指示する。
団の技術レベルが上がれば嬉しいし、本番が終われば達成感もある。
ただ、疲労困憊で帰宅したとき、自分が望んでいない週末を過ごしていることに気付かされる。
長時間練習しなくても、個々人が週末までに吹けるようになっていれば、セクション・合奏練習にある程度集中できる。
長くやることが当たり前になりすぎて、私自身も「練習時間の短縮=手抜き」と考えるようになっている。
練習も、考え方も経験に基づいた最適解ではなく、単なる惰性に陥っている気がしてならない。
技術的な段階によって、量が質を上回ることもよくある。間違いなく、私もそうだろう。
だからといって、量を増やせば、質を上げなくてもいいわけではない。
何カ月経ってもうまくならないのは、「練習量が足りないか」「奏法が間違っているか」「考え方に誤りがあるのか」といった原因がある。
その点に着目せず、同じような練習ばかりしても実を結びにくい。
諦めも大切
連帯感の点で見れば、練習時間を長くするのも悪くない。
本番に向かって一緒に苦労する時間は、効率とは代えがたい価値がある。
思い出話になるのは、苦しいことの方が多い。
優しい先輩よりも、厳しかった先輩の方が印象に残りやすく、思い出の1シーンとしてよく登場する。
しかし、充実感ばかりに満たされて、時間を浪費するには、若いときはあまりにも短い。
後悔先に立たずだ。
ときには諦めることも大切ではないだろうか。
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