組織と立場に縛られて、自分が思ったとおりに動けない不自由さ
組織運営において、役職が重要な役割を果たす。
方向性を定めるにも、迷ったときに修正するにも、集団である以上はリーダーが必要だ。
自分がその位置に立たされたとき、個人的な理由で動けない不自由さが生まれる。
休みたいときに休めない。言いたいことが言えない。言葉や行動によって、まわりに少なからず影響を与えている可能性があることを自覚しているつもりだからだ。
個人より組織が優先される日々は、健全ではない。
自分の人生のようで、他人のために生きている人生のような気がしてならない。
「まわりにどう見られているか」が気になる
限られた時間の中で、ある程度の結果を残しても、楽しさや充実感は得られていない。
その行動の根底にあるものが「まわりにどう見られているか」という気持ちだからだ。
自分がやっていないことを求めても、人は決してついてこない。自ら動いて、結果を出し、励ますところに、信頼が生まれる。
これまでそう信じて行動してきた。
休日が休日になっていない日々が続くと、立場に縛られていることに改めて気付かれされる。
そういったときは、「何のため」という目的を見失っている。手段が目的にすり替わっている。
スケジュールをただこなし、「疲れ」という充実感にごまかされているだけ。成長している実感が手ごたえがない。
習慣で同じような言葉と行動を繰り返している。
「考えているつもり」「悩んでいるつもり」「やっているつもり」だ。
組織の流れに乗って動いているうちは、喜びも、成長もない。たんなる惰性に過ぎない。
こういった葛藤は、いつまでも経ってもなくならないのかもしれない。
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