転職活動で事実と向き合う
転職活動を続けていると、避けてきた事実と向き合うときがあります。
自分が積み上げてきたスキルと実績が、世の中に通じるかということに。
13年近くも同じところに勤めていれば、息の抜きどころも分かってきます。時間的な余裕だけでなく、仕事に対する力の入れ具合も含めた話です。
心身ともに健康的な生活を送るうえで、「防衛本能」とも言えそうですが、息を抜く頻度が多くなれば、アクセルを限界まで踏むことがなくなり、気づかないうちにブレーキを踏み、自分でも全速力が分からなくなります。
結果が出なくても、心のなかで「まだ本気を出していないだけ」と言い聞かせることで、自分を慰め、また同じことを繰り返す。その回数が多くなれば、感覚が麻痺して惰性に流されていきます。
年を重ねるにつれて、自分がそうなる(すでにそうなっているかも)ことに怖れを感じることが多くなりました。
どこまで通用するのか
給与、福利厚生、待遇に関して、今の職場に何の不満もありません。
ただ、5年後、10年後、20年後を想像したときに、まわりが私に求める役割と自分が歩みたい人生にギャップが少しずつ生まれていることに気づいてからは、「1日でも早く、別の道を歩みたい」と思うようになりました。
年代ごとに求められるスキルや実績も変化します。「それなら現状でどこまで通用するのか」試す意味でも、転職活動を始めることにしました。
書くことに慣れているつもりでも、いざ自分自身のことになれば、なかなか書けないものです。
10年以上前に使った「職務経歴書」のデータを引っ張りだして、現在の職場を足していく作業は苦痛でした。
- 何ができるのか
- 何を成したのか
- 何でそうしたのか
「なぜ」との問いに対して、「会社の仕事だから」で終わらせるのは短絡的で、先がありません。
洗い出しで見えてきた
私の場合、これまでの業務を洗い出すなかで、ライティングだけでなく、情報媒体をつくるうえで必要な「ディレクション」の経験を積ませてもらっていることに気づきました。
新聞だけでなく、広報誌、社内報、メールマガジン、カタログ、販促チラシなど、発注者の要望をヒアリングしながら、進行管理や調整をするという仕事です。
同じ情報でも、伝える相手、媒体の特性、発行・配信の目的によって、見せ方や書き方が変わります。
「私はこれがいい!」
と信じていても、発注者の要望に応えていなければ、ただの自己満足です。
そうならないようにするために、発注者側と制作者側の認識の違いを少なくすることを心がけています。
少なくなれば、お互いの修正の手間も減り、気持ちよく仕事ができます。
転職活動において、ライティングに比べて、ディレクションの能力を伝えられる言語化できていないため、さらに熟考する必要があります。
安定した生活を送るために
今の職場でなくても、安定した生活を送れる。
自分にそう言い聞かせています。
年収が下がることよりも、スキルの引き出しが増えないことの方が怖いからです。
誤解のないように書きますが、「業界紙はオワコン」とは思っていません。
ただ、私の目標と価値観が変わっただけです。
ブログを投稿するたびに、少しでも前に進んでいたいと思います。
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