近所の騒音に神経質になる理由

我ながら神経質が過ぎると思っている。
電車で隣に座った人の肘が当たったり、近所で自動車のドアを大きく開け閉めする音が聞こえたりすると、そのたびに心がざわつく。
今も隣の家が飼っている小型犬の鳴き声にイライラしている。

相手も悪気があってしているわけではない。重々分かっているつもりだ。
ただ、自然な振舞いとして起こっているだけに、その配慮のなさに苛立ちを覚える。

こちらは腹が立っているのに、相手は気にも留めていない。その違いは、自分だけが損をしているような気持ちにさせる。
他人に話しても「気にしなければいいのに…」と言われて、神経質な人扱いされるだろう。事あるごとに指摘した場合、トラブルに発展する恐れもある。

近所の騒音に限れば、限界に達する直前で注意していた。子どもたちが騒ぐ声がどうしても我慢できなかった。
自宅周辺は、同時期に引っ越してきた世帯が多く、親子の年代も近い。仲良くなるあまり、まわりが見えなくなるのだろう。道路を公園のように遊ばせている。

これには立地が関係している。突き当りに家が数軒立ち並んでいるため、住民以外の自動車が通らない。
日中の通行量は皆無に等しく、安心して遊ばせられる。

道路で遊ぶことが常態化し、休日は親も交じってはしゃぐ。微笑ましい光景なのかもしれないが、心が狭い私からは怒りの感情しか生まれない。
子どもに危険性を教えず、「カーブミラーをつけてほしい」「近くにある大きな排水溝に落ちたら危ないので、(共同所有型)私道に門を取り付けてほしい」といった周りに配慮や対策ばかり求める矛盾した行動が散見されたからだ。

心配する気持ちは分からなくもないし、子どもが大事なあまりに周りが見えなくなることもあるだろう。
それでも配慮を忘れてはならない。

偉そうに不満ばかり書いている私も、どこかで他人に不快な思いを抱かせている。
つい最近まで庭の雑草をほったらかしで、景観を著しく損なわせていた。

「お互い様ですよ」と思えるぐたい気持ちに余裕を持ちたい。
だからといって、その関係性に甘えることはしたくないと思う。

雑談

Posted by ぐずもち