こだわりが詰まっている他人の制作物に意見するのは、時間と労力が必要である

「何か気付いたことがあったら遠慮なく言ってほしい」
上長から提案資料や記事の草案を渡されて、そう言われると一瞬躊躇してしまう。
こだわりが詰まっているであろう制作物に指摘しても、素直に受け止めるとは限らないからだ。

自らの考えを言語や図式に変換するのは、時間と労力がいる。
良かれと思った指摘でも、相手からすれば否定と受け取られる恐れがある。
以前指摘したときも、そう表現した理由を説明され、納得したつもりになるしかなかった。

粗探しをしたつもりはない。
書き手の意図がストレートに伝わらず、読み手が飽きて離脱する可能性を危惧しただけである。
私の伝え方が悪かったのだろう。お互いにとって、ただの時間の浪費だった。

指摘には理由がいる

他人に見てもらうことよりも、気になったことを指摘する方が勇気のいる行為だと思う。
ダメ出しすることは簡単だ。粗を探せばいくらでも出てくる。
否定の言葉は強く、いくらも突き放せる。

改善につながる指摘は、具体的な理由が求められる。
感覚的な判断でも、自分がなぜそう思ったのかを言語化できなければ、相手も困ってしまう。
「なんとなく違う」と思ったことを突き詰めて、改善策やアドバイスも提示するのは中々苦労する。

そう考えるのは私の経験値が足りないからだろうか。
指摘しても直らないことが分かっている相手の場合、返答する労力を惜しむ自分がいる。

何を言っても無駄

自分の努力で成長できたとは思っていない。
吹奏楽にしても、記者にしても、辛抱強く指導してくれた人のおかげで今がある。
恩返しのつもりで、私も後輩の指導にあたってきた。

しかし相手が上長や先輩ともなれば、話は変わる。
「自分の方が立場は上」と思っている人に対して、何を言っても無駄である。
こだわりが詰まっている制作物であれば、自信を持って公表すればいいだけのことだ。

単純な話である。
私もポーズだけで意見を求めるようなことは慎みたい。