推敲と見直しを怠ることで、まわりに迷惑をかけているかもしれない
ほかの人が書いた原稿を校正するのは、中々のストレスである。今回は運が悪かった。誤字、脱字、衍字が多く、指摘に時間がかかった。
「いい加減に書くな! 推敲したうえでもってこい!」
そう言いたい気持ちはあるものの、ストレートに注意できない相手だったため、ブログでこうやって愚痴っているのである。
以前指摘した結果、多忙を理由に押し切られた。こちらからすれば、言い訳にしか聞こえない。原稿の作成と確認はワンセットではないのだろうか。
時間が足りないのは、作成時間の見積もりの甘さが原因である。
大事な工程を丸投げしない
締切に追われなければ書けない人がいる。ギリギリに提出する人はいつも同じだ。
気持ちは多少理解できる。だからといって、いい加減にしたツケを関係者にまわすのであれば、許容することはできない。
「紙面を埋めて終わり」「原稿の本数をこなして終わり」「とにかく締切に間に合えば終わり」ではない。
事実、論理展開、誤字・脱字・衍字の確認、それに表記統一ができたうえで、初めて原稿が完成する。
その大事な工程を他人に丸投げして修正させ、完成した媒体を眺めながら達成感に浸っているのは恥ずかしいかぎりだ。
「あとで確認すればいいや」は禁句
書き終わった原稿を読み返すのは、相当な勇気がいる。せっかく達成感に浸っているのに、読み返せば必ず気になるところが出てくるからだ。
ここで引き返すことができれば、校正が楽になる。
「レイアウトが終わったあとで、じっくり確認すればいいや…」と思っても、そのときになれば思うように時間を確保できない。
しかし、すぐに読み返しても、確認自体が作業になるだろう。自分の気持ちを一瞬落ち着かせるだけの時間は、やはり必要だ。
そもそも多忙を言い訳にしているようであれば、原稿の作成時間に「推敲」や「見直し」の工程が含まれていない可能性は高い。
こういったことを他人に指摘すべきことだろうか。私も自分で痛い目を見るまでは気付かなかった。
偉そうなことを書いていながらも、忙しくなれば忘れてしまう。そんないい加減な気持ちが、自分を知らぬ間に時間泥棒にしているに違いない。
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