行動と目的の見える化、自由に動くためのスケジューリング
自分の裁量でスケジューリングできないのは不自由だ。それが分かっていながらも、組織に所属している以上、勝手にふるまうわけにはいかない。
行動する時間帯と目的が不明瞭だったり、これまで発言したことと矛盾があったりすれば、少しずつ信頼を失う。
最近、自身の行動を客観視するように努めている。まわりからどう見られているのか。結果自体は変わらなくても、できるかぎり明快かつ透明性がなければ、いざというときに自由に振舞えない。
「あいつは何をやっているんだ?」と思わせないために
その取り組みの一環として、自身の行動予定とタスクの見える化を始めた。
Googleカレンダーに、外出、ミーティング以外に、自主的な締切と社内業務に費やすスケジュールを記載するようにした。「あいつは何をやっているんだ?」と思われないためだ。
予定が立て込んでいるわけでもなく、タスクも少ない。暇を持て余している。その余裕があるうちに、自由に動けるための縛りルールを定着させて、会社に安心してもらう必要がある。
管理職は、部下の不透明な行動を嫌う。報告・連絡・相談がなく、信じたくてもスケジュールどおりに進んでいるのか心中穏やかではない。
その不安な気持ちを払拭させるために、形だけでも先手を打つ。上長に「どうなっている?」と言わせたら負けだ。
管理職と従業員の都合は一致しない
無駄に管理されたくない気持ちは今でもある。以前勤めていた会社で、ホワイトボードに一週間の予定を書き込むことになったとき、嫌な気持ちになったことを覚えている。
水面下で新しい分野を取材したり、情報収集と気分転換も兼ねて外出したりといったことが難しくなると思ったから。これは杞憂で終わり、スケジュールの早期共有は営業と編集の連携強化に役立った。
会社が給料に見合う働きを従業員に求めるのは当然のこと。十分な成果を出しながら、規則の範疇でどうやって自由に振舞えるか。心身ともに負担の少ない働き方を整えることが当面の目標である。
下手すると、まわりから「過度な共有」と見られかねない。最悪なパターンは、私の方法が組織のルールになってしまうことだ。
管理職と従業員の都合が一致することはない。自分の裁量の活かし方はそれぞれだ。私が新しく始めた試みが、今後の行動をかえって縛ってしまうかもしれない。そうならないように、やりすぎには注意したい。
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