おっさんになっても「お前」「○○君」「呼び捨て」される私

敬称は、相手との親密度や尊敬の軽重が表れている。
年上なだけで呼び捨てにしたり、大して仲良くもないのに「ちゃん」で呼んだりするのは、個人的にはしっくりこない。
初対面にもかかわらず、横柄に対応するのは、潜在的に「自分が上」との気持ちがあるように思えてならない。

社会人になってから、私は基本的に誰に対しても「さん」付けで呼ぶようにしている。
吹奏楽で小中高生の頃から教えているメンバー以外は、話すときも敬語だ。

20代の部下に対しても、よそよそしくならない程度に丁寧な対応を心がけている。
これらの行動は、すべてまわりの大人を反面教師にした結果だ。

TPOは一切関係ない

もっとも長く勤めた会社では、「お前」で呼ばれるか、呼び捨てが当たり前だった。
TPOは一切関係ない。26歳で入社して、39歳で辞めるまで続いた。

そのように粗雑な呼び方をする一部の人は、社内の誰に対しても同じように接していた。
入社時点から違和感を覚えていたものの、対応が守備一貫し、裏表がなかったので納得していた。

時間が経過すれば、苦楽を共にしてきたことで次第に慣れていった。
「世代間のギャップ」「価値観の違い」もあるだろうし、上長に態度を改めるように言うわけにもいかない。
相手を変えることにパワーを割くぐらいなら、自分がそうならないように注意した方が価値的だろう。

考えすぎかもしれないが…

別の会社に転職したが、そこでは上長から君付けで時々呼ばれる。
「お前」に比べて当たりはやわらかくなった。それでも違和感はぬぐい切れない。

君付けに上から目線を感じたからだ。
役職は、能力や人間性の優劣ではなく、あくまで立場の違いでしかない。
入社当時は「○○さん」と呼んでいたのに、月日が経過するにしたがって、少しずつ君付けの回数を増やしてきたことにも巧妙さが感じられた。

考えすぎかもしれない。
相手からすれば、さん付けで呼ぶ方が違和感があったのかもしれない。
コミュニケーションの考え方に正解はないのだから。

上長に遠回しに伝えたところ、「他意は一切ない」とのことだった。
部活の延長線上で先輩後輩のような感覚で接していたらしい。

私の心中は「なんとなく分かるけども、お互いにいい大人だから…」という気持ちである。

違和感を反面教師に

人間関係は、険悪よりも良好な方がいいに決まっている。
だからといって関係を構築する上で、「フランクであれば、お互いの距離が縮まる」と考えるのは違うような気がする。

とくに仕事においては、不快にならない距離感と丁寧な対応が必要だと思う。
友達がおらず、誰からも誘われない私が言うことでもないが、とにかくそう思う。

私は君付けや「お前」と呼ぶような人にはなりたくない。
横柄な態度を取ることは、残念に思われる可能性が高い。

呼び方一つで裏を考えるのも正直疲れる。
まわりの環境や慣習のせいにして、違和感を捨てれば反面教師にならない。

違和感を大事にしたい。